1990年から毎年催されてきた『なまずまつり』。そもそもどうしてなまず祭りが始まったのかを公式サイトから引用させていただきます。
1891年(明治24年)10月28日6時38分本巣郡西根尾村を震源としてM8の直下型巨大地震が起こりました。羽島郡市でも笠松町内・竹鼻町内より出火。羽島市の前進である葉栗郡・中島郡で死者1007名、負傷者2107名 総戸数12254戸に対し9419戸が全壊1700戸が半壊。火災により1135戸が失われました。被害戸数は実に94%に上る大震災でした。震災より100年後1990年にこの大震災を風化させず、又、鎮霊の為に地震を引き起こすとされるなまずを鎮めるために、また同年なまずの研究者として知られ「なまず殿下」とも通称される秋篠宮文人親王のご成婚にあやかり「美濃竹鼻なまずまつり」が開催されました。以来、25年を重ね2015年よりなまず鎮霊を掲げ、なまず祠にお参りする事により家内安全を願い。なまずが再び暴れ地震が起こらない為に「たけちゃん&はなちゃん」と共に市民が妖精になりなまずを癒してあげ子孫長久を願うまつりとしてリニューアル致します。濃尾地震の時羽島では9割以上の家屋が潰れたり焼けたりしました。125年も前のことなので直接の体験者はもちろん、おじいさんやおばあさんに聞いたことのある人も減ってしまい、文字通り“風化”しつつあります。今一度地元の当時の被害状況を紹介します。
竹ヶ鼻(羽島市)の被害状況
人口
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死亡
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総戸数
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全壊
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全焼
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半壊
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竹ケ鼻
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4950人
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268人
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1250戸
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610戸
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638戸
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29戸
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狐穴
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884人
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7人
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157戸
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126戸
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―
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31戸
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飯柄村
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543人
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11人
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100戸
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92戸
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19戸
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79戸
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蜂尻村
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276人
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6人
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48戸
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40戸
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―
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8戸
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駒塚村
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919人
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10人
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152戸
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125戸
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―
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27戸
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計
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7572人
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302人
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1707
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993戸
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657戸
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174戸
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南海トラフ巨大地震がいつ発生してもおかしくないと言われる状況ですが、家具転倒防止工事、備蓄食料(飲料水、非常食)、また簡易トイレの備えなどをしていますか?
防災研究会のブースではそんな皆さんの“備え”をアンケート調査しました。しっかり備えている人は3割に満たなかったけど、6割近い人が何らかの対策をしていらっしゃいました。特に飲料水の備蓄は多くの方がしていらっしゃいましたが、しかしながら簡易トイレは8割の人は全く備えていませんでした。
また、「防災」は子供の頃から行う「早期教育」が効果が高いと言われています。そんな柔らかい頭の持ち主のちびっ子を対象に「防災ゲーム」コーナーを設けて、研究会のメンバーで手作りした防災ゲームを楽しんで学んでもらいました。
また、「防災」は子供の頃から行う「早期教育」が効果が高いと言われています。そんな柔らかい頭の持ち主のちびっ子を対象に「防災ゲーム」コーナーを設けて、研究会のメンバーで手作りした防災ゲームを楽しんで学んでもらいました。
メインステージでオープニングの『羽島太鼓』の演奏が始まりました |
家具転倒防止コーナーと簡易トイレコーナー |
『ぼうさい駅伝』コーナーには子どもたちに混じってモクモク魔神とメラメラ大魔王が! |
『ぼうさいBINGO』コーナーには松井聡羽島市長も飛び入り参加 |
いろいろな人たちに防災アンケートに協力していただきました |
メインステージでは『羽島発明くふう展』の優秀者の表彰式が |
避難所などで活用できる新聞紙スリッパ作りの体験コーナーも |
「ビンゴー!」の歓声が周りのテントにも響きます |
『円空みこし』が練り歩いて行きました |
防災アンケートもいっぱいシールで埋まってきました |
いよいよ撤収です お疲れ様でした! |